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 暗闇、それは恐怖の対象である。
 暗闇はよく幽霊やお化けを連想させるが、その幽霊やお化けといった存在も暗闇の恐怖から生じてきた化身であろう。
 そう、人間は本来暗所を恐れる存在なのだ。
 夜の暗闇というものはどうしたって昏い。昏過ぎる。街灯の明かりなど無いに等しい程に昏いのだ。
 そんな闇夜が1日に3回もあるなんて、まるで悪夢のような現実。抗いようのない拷問だ。
 私とてこの世界で20年も生きてきたのだ、いつまでも夜が怖いなんて言うことはない。
 だがそれでもである、時々どうしようもないくらいに暗闇が怖くなることがある。
 何がどう怖いのかと訊かれても返答に困るものの、その感覚はもはやトラウマのそれだ。
 居た堪れなくてひどく耐え難い。吐き気すら覚えるものである。
 だから私は明かりを求める。いつも決まって明かりを求める。明かり――――火を燈してその感覚が引くのただ待つのだ。
 火を…………燈す。
 今までは適当に可燃性の物を携帯し、それに点火していた。
 火を見ているとそれだけで落ち着きを取り戻す。潮が引くようにあの感覚も残すところ無く引いてくれていた。
 しかし最近、それにある変化が生じた。――――生じてしまった。
 切っ掛けは些細な衝動。人を……燃やしてみたいと思ったこと。
 生じた衝動は些細なものであったが、実はその衝動は常にあった。
 いや、これまでは別のもので誤魔化してきたが本当はそれこそが初期衝動であったはずだ。
 なにせ自分の特異能力に初めて気付いたときにまず思ったことがそれであったのだから……。

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「我人、入るわよ」

 軽くノックしてから書斎に入る。流石書斎というだけあってこの部屋の壁は本棚で埋め尽くされている。
 そのせいか、ただでさえ小さな格子上の窓が遮られてしまい、この部屋の空気はひどく淀んでいることが手に取るように判る。

「ここ、空気が汚いわね。このままじゃ窒息死しかねないから手短に用件を言ってくれるかしら?」
「ふむ、来て早々悪態とは今日も順調に機嫌が悪いようだな」

 部屋の真ん中にある大きな横広の机を前にして座っていた、相変わらず胡散臭そうな大柄の男が応える。
 さっきまで目を通していたのだろうか、机の上は資料や書類等でごった返しになっている。
 男の名前は柳我人。一応……私の育ての親にして忌術師としての師に当たる人物である。
 だがそれも大別すればの話。私がこいつから教わったことなど忌術の存在とそのなんたるか程度。
 今のように用があるときだけ呼び出され、あとは勝手に生活し、ほとんど我流で忌術を学んでもう9年。
 そんな極度の放任主義なヤツだけに、当然こいつに対して親としても師としても尊敬の念などこれっぽっちも持ち合わせていない。
 こいつは――――ただの同居人に過ぎない。

「どうせまた蒼蒔と喧嘩でもしたのだろう。キミのその対人能力欠如は病的なまでに酷いからな」
「ふん、放っておきなさいよ。私だってね、好きでやってるわけじゃないんだしあのアホがなにもしてこなかったらどうもしないわよ。
 だってのに向こうから私の邪魔してくるってんだからどうしようもないじゃないの」
「ふふ、これは蒼蒔も大変だな。アレはアレでキミに一生懸命だというのに」
「なに、どういうことよそれ?」
「いや、私が口出しすることではなかったな。今のことは忘れるがいい」
「その偉そうな物言いムカつくわね。いいからさっさと要件だけを言いなさいよ」
「ああそうだったな。ではまずこれを見てくれ」

 そう言って1枚の写真が差し出されたので、仕方がなくそれを受け取り眺める。

「なによこの黒い塊。――――えっ、ちょっと、これ人間の焼死体じゃないの!?」

 素っ気なさがすぐさま驚きに変わり、一瞬にして注意を引き付けられた。
 そこにはそれが丸まっていて初めなんだかよく判らなかったが、間違いなく人間の焼死体が写っていたのだ。

「ちなみにそれがこの事件の1人目の被害者だ。そしてこれが2、3人目の被害者になる」

 さらに2枚の写真が渡される。
 正直、なんの気構えなしでこの類のものを見るのはキツイ。最初からなにが写ってるか言ってほしいものだ。
 写真を見るとそこには1枚目同様……人間大の炭が写っていた。

「…………」
「見ての通り3件とも死因は同じ、被害者はいずれも焼死している。しかしそんなことはどうでもいい瑣末事に過ぎないな。問題なのは……」
「どうやってやったか、ってことね」
「そうだ。面白いことに3件目については目撃者がいてね、弐夜に買い物をしようと家を出たところ、偶然正に燃えている瞬間を目撃したようだ。
 そしてその目撃者が言うには、道を歩いていたただの通行人が突如として発火し、ものの数秒でそうなったらしいのだよ。
 神楽、キミの能力“放散”を以ってしてもそんな一瞬でここまでの焼尽は不可能なんじゃないかな?」
「……ふん、事件の詳細を教えなさいよ」
「ふふ、興味を引かれたかね。いいだろう、事の詳細をお教えする。
 初めて被害者が現れたのは1ヶ月ほど前になる。ここ出水市の住宅街のはずれで人間の焼死体が発見された。
 ついで2件目はその1週間後、同じく出水市の繁華街の路地裏で同様に焼死体が見つかった。
 そして3件目が起こったのが昨日、これはさっきも言ったが住宅街の通りでその瞬間が目撃されている。
 1、2件目も遺留品や現場の状況からするに乱暴された形跡や強盗の疑いもなく、被害者はただ焼け死んでいただけらしい。
 被害者の職業はそれぞれ学生、自営業者、フリーターと共通点は特にありそうにない。あるとすれば皆、出水市在住といったところであろうか。
 加えて事件の発生間隔も疎ら、犯行の動機も不確か、殺害方法も不明。つまり現時点ではおよそ犯人の姿を浮かばせるような要素は皆無に等しい。
 …………さて、ここまでが一般的見解だが何か意見はあるかな、神楽?」
「文句なら腐るほどあるんですけどね。どうせ私にこの事件の解決をさせようとしてんでしょうから」
「ふむ、物分りがよくて非常に助かる」
「ふっざけんじゃないわよ! いつもいつもこっちの都合もお構いなしに面倒事押し付けてさ。
 大体ね、人に面倒事押し付けようってんならもっとよく調べてからにしなさいよね」
「どうせヒマを持て余しているのだろう? ならば暇潰しにでも、と思ったまでだ。
 それにこの件についていえばキミ以上に適任なヤツはいないだろうからな。キミのことだ、犯人の“能力”にももう見当がついているのだろう?」
「…………多分、パイロキネシスでしょうね。それも私の忌術“放散”を上回る威力の」

 1つ間を入れてからそう言う。
 目撃者の話、被害者は突如として火だるまにされたことから考えて犯人が忌術師でもない限りそれ以外ありえまい。
 そうでないと説明がつかない。銃火器の類では人を焼き尽くすほどの火力は持ち得ないのだから。

「そうだ。キミの言うとおり犯人は十中八九、パイロキネシストだろう」

 パイロキネシストとは……簡単に言ってみれば私の忌術を先天的に使える超能力者のことであり、睨みつけ、念じるだけで対象を燃え上がらせることができるヤツのことだ。
 対象は術者によって生物から鉱物までと大きく幅を取る。

「神楽、キミは意識しているかどうかは知らないが、『睨む』という行為は対象への情報の投げ掛けだ。
 よく『視線を感じる』というだろう。あれは正しくその典型だな。まあ一般人レベルであれば投げ掛けられる情報もノイズ混じり故、その程度が限界だ。
 だがキミ達レベルになると事はそれだけでは済まされず、投げ掛けられた情報は対象に作用する。
 万物は根源として四大元素といわれる火、水、土、風によって構成されているのは知っているだろう。
 キミ達の場合、火の元素に強制的に働きかけ、その活動を促進させ、終にはそれに耐えられなくなった対象が燃え上がる、といったのが発火のメカニズムだ」
「それはちょっと違うわよ我人。私の忌術とパイロキネシストの能力を一括りにしないでほしいわね。
 パイロキネシストは対象自体を燃やす。それに対して私は対象が存在する空間そのものを丸ごと燃やすの。
 直接的内側からか間接的外側からか、その点が決定的に違うんだから。……まあその違いが威力の差に繋がってるんでしょうけどね」
「結果が同じである以上、私に言わせればどちらも大差ないのだがな……。
 まあいい、とにかくこの件はキミに任せるのでよろしく頼む。調査が必要なら蒼蒔を使うといい。アレはキミの手伝いがしたいようでね」
「はぁ……、拒否しても無駄だろうから引き受けてあげるけど、具体的になにをどう行動すればいいのよ?」
「そうだな、核心的なことが判明するまでは今まで通り、夜に不審なところでも出歩いてくれればそれでいいさ。
 優秀なキミならそれだけで犯人に遭遇できるかもしれないしな」
「……あっそ」

 そこまで聞いて体の向きを変える。
 訊くことはもう聞き終えたのだ。これ以上この空気の悪い場所に留まる必要もなし、早々に立ち去ることにしよう。
 つまらない用事だったが暇潰しくらいにはなる仕事だろう、ぶん殴るのは勘弁してやる。
 ふん、感謝しろ、我人に蒼蒔め……。

 /2

 暮夜くれて積寂(せきぱく)たる弐夜の闇の中、歩を進める。
 繁華街の方は人の往来で喧しいだろうこの時間もここ住宅街では物静かなものだ。
 我人から事件解決を頼まれてこっち、もう3日。私は大学に行くこともなく犯人の痕跡を求めこうして市内を歩き回っている。
 あれから蒼蒔に事件の調査を続けさせているが、予想通り今のところ犯人に新たな動きはないらしい。
 そう、予想通りである。
 私の考えでは恐らくこの事件において明確な犯行の動機なるものは存在しない。
 あるとしてもそれは――――『楽しいから』だろう。つまりこの事件の犯人は愉快犯・享楽犯の類による無差別殺人ということだ。
 それならば先の事件からまだ5日程度で次の犯行が起こるわけがない。今までの発生間隔からしても判るように少なくとも1週間ほどは犯人の欲求も充足されているようだ。
 その間は飢えが渇くこともないというわけである。
 私はその間を利用してここまで3件の事件発生現場を見て回ることにしたのだ。
 一昨日は住宅街のはずれ、隣接市との境目。昨日は繁華街の僻地、路地裏。
 そして今日がここ、住宅街のど真ん中の大通り、というわけである。
 現場は進入禁止区域になっており近くまでしか行けないが、そこは左右を家宅で囲まれ見晴らしは決してよくない場所だ。
 目撃者がいたというマンションは…………どうやらあれか。現場から30メートルは離れているだろうかというところに4階建てのマンションがそびえ立っている。
 確かにあそこの上階からの俯瞰なら、たとえ夜であろうと、燃え盛っているものがあればよく見えるだろう。

「…………」

 よく見える…………か。では犯人は一体どこから『見た』のだろうか?
 犯人の能力は私の忌術と極めて似通っているものであり、その性質上、私と同様に視力の及ばない範囲では効力を発揮できないものとなっているはずだ。
 最大射程は広くとも半径100メートルがいいとこ。そして暗闇時、夜ならばなお射程は狭まる。
 つまり、犯人は犯行時において間違いなく現場周辺にいた、ということになる。
 辺りを見回してみる。
 ここで事件が起こったのは2日前の今ぐらいの時間帯。
 この時間、住宅街では人通りが少ないとはいえ目撃者が出たように皆無ではない。そんな最中、誰にも自らの姿を晒すことなく事を終えられる場所となると……
 
「そんなの、目撃者も出たあのマンションくらいなもんかしらね」

 私が犯人なら間違いなくあのマンションを選ぶだろう。
 通りの全景を眺められ、目撃される心配が少ない絶好のポイントがあそこだ。犯人がいた場所はあそこ以外にあるまい。

「まあそれもこれが計画犯の仕業ならの話でしかないんだけどね……」

 私の考えでは犯人は愉快犯であるからそこまでの計画性を持ち合わせているかどうか甚だ疑問である。
 今までも姿が目撃されていないのはただの偶然かもしれないことだし……。
 そうだな、とりあえずあまり期待しないであのマンションの入居者でも調べてみるとしよう。
 現状では情報が少ないわけだし、無駄であろうとやれることはやっておきたい。
 どうせ調べるのは蒼蒔の仕事なんだから、私の苦にはまったくならない。それでなにか判れば棚から牡丹餅ってもんだ。
 どういうわけかあいつは私の手伝いをしたいらしいことだし、精々コキ使ってやるさ。

 時計を見るともう14時になろうとしており、東の空から明かりが増してきていた。
 衣服の裾をバタつかせる、耳障りな風の奔流もその存在を主張し始める。
 さて、そろそろ戻るとしようか。非常に、この上なく面倒だが今日はサボれない事項があるのだ。
 それを消化しないことには、次にあれに会ったときになにを言われるか判ったもんじゃない。まったく、私が出てもなにも意味はないというのに……。
 釈然としない気持ちのまま、昇る陽の光から逃れるようにその場を後にすることにした。

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