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重い足を引きずる様にし、憂鬱を背負いながらも、とある部屋に辿り着いた。
一瞬目を瞑り、ドアに手を掛け部屋の中へと入る。
「あっ、神楽! よかった、ちゃんと来てくれたんだね」
元気のいい声が私を出迎えた。
声の主は原越伽耶。相対的に群を抜いて私の友人やってる稀少で奇特な少女である。
相変わらずその左手にはこの少女にある種お似合いなぬいぐるみを携えている。片時も離さないとはまさにこのことだろう。
伽耶が右に左に動く度に、腰まで伸びた黒髪がつられて左右に動くのも見ていて飽きない。
流石は学内のマスコット的キャラ。見る者を和ます素質は抜群のようだ。
私は伽耶に軽く一瞥して手頃な席に腰を下ろす。
部活は17時からになっているがざっと見るに伽耶のほかにもすでに5、6人来ていた。
どうやらここには私を含めヒマなヤツが多いらしい。
ここは演劇部部室、そしてここにいるヤツらは当然全員部員である。
何故私がこの場にいるのか? それはご多分に漏れず私も部員であるからだ。
――では何故私はここの部員なのだろうか? それに関しては私もひどく疑問に思う。
ここにいるヤツらは演劇がやりたくてこの場にいるのだろう。だが私にそんな趣味はない。演劇なんて興味ゼロ、全く未知の単語でしかない。
それにもかかわらず私が演劇部部員やっているのは偏に伽耶のせいである。
1年前、つまり私が新入生だったころの話だ。
当時、各部活は新入生獲得のため熱心に呼び込みをしていた。そんな折、私にも誘いが当然幾つかあった。
この演劇部もその中の1つである。終始全無視を決め込んでいた私だったが、演劇部に勧誘されたあの時ばかりはそうはいかなかった。
…………伽耶と一緒だったのだ。
演劇部最大の不幸はそんな時に私に話し掛けてしまったこと。私最大の不幸はそんな時に演劇部に話し掛けられてしまったこと。
伽耶は無視して通り過ぎようとした私を引き止め、寄ってきた部員の話を聞き、あまつさえそのまま演劇部に入部してしまった。
しかもそれだけでは飽き足らず、持ち前の強引さで私まで入部させてしまったのである。
事の顛末はおよそそんな感じである。
以来私は伽耶の頼みで週一、金曜日にだけ部室に顔を出しているというわけだ。
だが部室に来るのは非常に面倒この上なくその原因が伽耶にあるとはいえ、私は別に伽耶を恨んじゃいない。
どうせこの時間はヒマしているのだ、伽耶の頼みを聞いてもいいさ。
ただ伽耶を恨んじゃいないが私は伽耶以外の部員から恨まれて……いや、疎まれているだろう。
まあそれも仕方がないこと。私は部室に来てもなにをするわけでもなく、時間が来るまでただ座っているだけなのだから。
それでなくとも私は学内で色々と評判立っているのだ、そういう反応をするのが普通である。
こちらとしてもそういう反応をしてくれた方がむしろ楽でよい。
私が嫌いならば自由に嫌ってくれ。私としても構う相手が減って助かる。
構う相手が少なければ自分の時間が増える。それはとてもいいことだ。
……と、唐突に背後でドアが開く音がし、さして暗くもない部屋に照明が燈された。
時計を見ると長針は6を指していた。間違いない、ヤツである。
「あっ、部長お疲れ様です。部活は17時からなのに今日も早いですね」
伽耶をはじめ一同がたった今やって来たヤツに挨拶をする。
私は……当然無視するだけだ。
「みなさんもお疲れ様。でも私より早い人たちに来るのが早いなんて言われてもねえ……」
「あはは、それもそうですね」
「それと深霧さんもね。わざわざ来るなら何かしていったらどうなの?」
「…………」
私は応えずに視線だけヤツに送る。
視界に映るは身長170センチはあるだろうかという長身の女性。伸びた前髪の隙間から覗かせる眼は攣り上がり、顔は見る者を魅了するほどに整っている。
歩き方1つとっても悠然とし、この女性が自信に満ち溢れていることが窺える。
「相変わらずのつれなさか。そんな調子じゃ後々困るわよあなた」
「…………」
「どうせ何もしないのなら原越さんと二人で男の新入部員でも捉まえてきてほしいところね。ねぇ、去年度のミス綾守さん?」
「…………」
「何も知らない新入生ならあなたに魅かれて入部してくれるかもしれないじゃない。黙ってりゃ綺麗なんだからさ、あなた」
「…………」
ヤツがなにか言っているが、すべて右から左に聞き流す。
この煩くなにかと私に突っ掛かってくるヤツはこの演劇部の部長で名前は確か北妙桐枝(きたみょうきりえ)とかいったか。
毎回16時半ほぼぴったしに来る几帳面…………というよりアホ極まりないヤツである。
聞くところによるとコイツは3年生と私より1つ上の先輩らしい。一応部長やってるからにはそれなりの信憑性はある話だ。
ちなみに、これも伽耶から聞いた話なんだが、この部長は去年度のミスコンで準優勝だったらしい。
そのことが理由なのかどうか定かではないが、いずれにせよ部長は私のことを目の敵にしているようだ。
ミスコンに関して言えば私も伽耶に無理矢理参加させられた被害者だというのに……。伽耶がやたらと頼み込んでくるから泣く泣くエントリーしたに過ぎない。
まあ現状が示しているように私も部長が大嫌いである。
それには向こうが嫌ってくるから、などといった理由はおよそ関係ない。
珍しく顔が見るに耐えないとか性格が破綻しているなどといった嫌う理由も見当たらない。
それでもなんとはなしにコイツは嫌いなのだ。
生理的嫌悪感といったものであろうか。とにかくコイツには嫌いという感情しか抱けないのである。
「ちょっと、聞いてるの深霧さん?」
「……ああ、なんか仰ってたんですか部長? 私には口うるさいアヒルがガーガー言ってるようにしか聞こえませんでしたので判りませんでしたの」
「なっ…………」
うやうやしく敬語を使う。
部長の目が鋭くなり周囲の空気が凍りついたのは気のせいではないだろう。
ふん、その程度知ったことか。私は私の勝手を通すだけだ。
「ぶ、部長。今日は何をやるんですか?」
伽耶が重い空気を切り払うように突如割ってはいる。
おそらく伽耶なりに気を利かせたのだろう。
ここは流石演劇部の部室だけあって、部屋の一角には小さめながらも舞台が設けられている。
今、舞台では伽耶が手にいつものとは違う、怪しげなマリオネットを携えて劇の役を演じている。
伽耶の役は、たしか悪の魔法使い――だったと記憶している。なるほど、お約束の杖の代わりにマリオネットというわけか。
その前に佇む部長の配役は……興味がないので忘れてしまった。
他の部員も役を与えられ、出番まで舞台の脇で控えている最中、私はというとなにをするでもなく先程から席に座り続けている。
私の役は――差し詰め、つまらない劇を見ている観客、といったところであろうか。
私の存在如何に関係なく舞台上では劇の練習が進んでいく。やはり私はこの場に不必要な存在なのだろう。
そもそも、私を含め私が部活に参加することを望んでいるのは伽耶だけなのだ。そんな存在を誰が必要とするのだ。
時刻は17時半過ぎ。窓の外からは縹渺(ひょうびょう)たる茜色の空が望める。参夜にはまだ少し早いが今日はもう帰るとしよう。
望まれない存在は夕空の奥にある闇夜を望むことにした。
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