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 家に着くと空はもう仄暗くなっていたが、参夜の暗闇が到来するには今しばらくの猶予があった。
 しかし家の中は外よりも尚暗く、物音さえもその内に飲み込んでしまいそうな闇が犇いている。
 私はその中を明かりも点けずルーチン思考でリビングを目指す。
 リビングには先客が居た。

「あんた、なにやってるのよ?」

 そこに居たのは机の上に資料らしきものを撒き散らしパソコンのモニタに向かっている蒼蒔だった。
 好き勝手に散らかし、さながらここが自分の部屋であるかのような所業である。

「えっと、あ、神楽か。神楽さ、いつも思うんだけどその会うなり真っ先に文句を言うのなんとかならないのか?」
「文句とは失礼ね。私はただ疑問を口にしただけじゃないの」
「その割には邪魔者を見つけたような口調だったけど……」
「元々こんな口調よ、いちいち突っ掛からないで。いいから質問に答えなさいよ」
「まあ、昼間に神楽から頼まれたことを調べてただけなんだけどさ」
「…………ああ、そんなこともあったかしらね」

 そういえばそうであった。例の事件の調査で少し気になることがあったので部活にいく前に蒼蒔に頼んでおいたのだった。
 まさかこんなにも早く取り掛かってくれているとは思いもせず、一瞬呆気に取られてしまった。

「……で、調査はどんな感じなのかしら?」
「ん、まだ始めたばかりで何とも言えずってとこかな。まあ明日中には終わるからもうちょっと待っててくれよ」
「あ、そう。じゃあ今夜は徹夜決定じゃないの、あんた」
「えっ、ちょ、本気かよ神楽? そんなに急ぎで必要なのか?」
「当ったり前じゃないの。放っておいたらいつまた次の事件が起こるかわかんないんだから。どうせ、あんた大学中退してヒマでしょうが」
「いや、これでも1日中ヒマってわけじゃ……」
「知るか。いい、私はこれから壱夜が明けるまで散歩してくるけど、私が帰ってくるまでに終わらせておきなさいよ?」
「あぁ、はいはい。判りましたよ。精々あと12時間気張るとしますよ」
「そうね、精々頑張るとしなさい。それじゃ……」

 蒼蒔をやり過ごし、キッチンで適当に夕食になるものを見繕ってから私室を目指す。
 今日の夕食は誰が買ったとも知れない野菜サンド。蒼蒔か我人のどちらかは知らないがとりあえず感謝。
 部屋で休憩がてらそれを食べる。そして食べ終えるなり、手早く着替えを済まし身嗜みを整える。
 本当はシャワーも浴びたいところだが、髪を乾かす時間が惜しい。今はどうにも夜想に耽りたい気分なのだ。
 駆け出したい気持ちを抑え、家を出る。
 時刻は18時40分。頭上はもう漆黒で覆われていた。
 体を包む空気はもはや熱を失い、夜の冷気が体内の隅々までを侵食する。
 木々をざわめかす風は遠方から犬の遠吠えを響かせる。
 さて、今日はどこを渡り歩くものだか……。
 普段なら足の往くまま、気ままに散歩していたものだが最近はそうもいかない。
 この散歩は見回りも兼ねている。いい加減にするわけにはいかないのだ。
 まあそうは云っても、どこをどう見回ればいいのかなんて判らないのだけども……。
 過去3件の事件だって起こった場所は市内というだけで特定地域というわけではないのだ。考えたところで尤もな場所など判り得るはずがない。
 ふむ、どうせ考えあぐねるならいつものように好き勝手散歩するのも悪くないか。
 早々に結論を出し歩き始める。
 どこに向かうのかは私にも判らなかった……。

 ◆ ◆ ◆

 暗いのは、恐い……。
 昏いのは、畏い……。
 幽いのは、懼い……。
 照らしてくれるものがなければ全てが闇に溶けてしまう。
 夜は怖い。全てを闇に溶かしてしまうから。
 それでも夜に活動しなければならない。1日に3度も夜があるから……。
 壱夜は嫌いだ。皆寝静まり闇が特に濃く感じる。
 弐夜は嫌いだ。暗くてその人の顔がよく見えないのに多くの人と会わねばならない。
 参夜は嫌いだ。私を差し置いて皆が楽しそうにする。
 卑怯いズルイずるい!
 なぜ私がこんな目に遭わなければならないのだ。
 なぜお前達は夜を虞(おそれ)ないのだ。

 ……最近一つ楽しみが出来た。
 それをすると一時的にだが緩和するのだ。
 お前等みんな――――燃えてしまえ。

 ◆ ◆ ◆

 参夜の闇の最中(さなか)、高架下の人気のない通りを孤影飄然(こえいひょうぜん)と往く。
 辺りを照らすのは上から洩れてくるライトのみ。道を少しはずれてしまえば、途端に縹渺(ひょうびょう)とした闇に紛れ込んでしまうような所だ。
 通称『幽霊通り』と呼ばれるだけのことはある。
 一般に、幽霊という言葉は暗闇を想起させ恐怖を喚起させる。
 そして昔から幽霊とは『暗闇に出現し恐怖する存在』と相場が決まっているから、幽霊と暗闇、幽霊と恐怖ではそれぞれ等号が成り立ち得るかもしれない。
 しかし暗闇と恐怖は全くの別物でしかなく、その間に等号など成り立ち得るはずがない。
 暗闇を畏れるというのならば、それは暗闇がもたらす不明瞭さによって生じる不安に畏れているのだ。
 不明瞭さに不安を覚える者が暗闇に恐怖し、そうでない者にとっては暗闇などただそれだけでしかない。
 中には私のように暗闇を好む者だっている。
 そして――――暗闇の中でしか生存できないヤツ等さえいる。
 ヤツを追って暗道を駆ける。陰々とした場所ですでに狩りは始まっていた。
 『暗闇の中でしか生存できないヤツ等』、それがこいつ。サイキックバンパイアの犠牲者――グールだ。
 グールの動きは決して速くはない。一度遭遇してしまえばこんなヤツ等処分など造作もないことだ。
 ……が、油断した。
 私のアホ。どうしてこんな時に剣を携帯していないのだ。
 如何に動きが緩慢とはいえ、グール相手に丸腰での近接戦闘は不味い。
 ヤツ等は暴力性の塊。力だけは並外れていやがる。
 よって接近戦はなし。しかしこの状況では忌術の使用もどうやらうまくない。
 私の忌術“放散”は視界の良し悪しにひどく依存するものであるから、こんな暗色溢れる場所ではさしたる力も発揮できないのだ。

「くそっ……」

 自分のアホさ加減に呆れ返る。
 今この時に剣を所持していないこともだが、それ以上にこんな使い勝手の悪い術(もの)を修得しようとしていたなんてアホ以外の何者でもない。

「ちっ……」

 いくら毒づいたところでしょうがない。ここはダメ元でも忌術に頼るしかないようだ。
 駆ける足を止め、遠ざかるグールを凝視。目を見開き、意識を集中。
 焦点に捉えるは――――闇夜の悪鬼。

「燃えて見晒せ人外!」

 静寂の中を駆け巡るように辺りに響く音素。無論私の声だが、らしくもなく思わず叫んでしまった。
 芳しくない状況からか、少々力んでいたのかもしれない。
 しかし悲しいかな、その力みも現状を打破する要素には成り得なかったようだ。
 彼方には灰燼に帰することもなく、遠ざかるグールの背。
 心なしか次第にその速度を緩めているようにも見える。すでに身の安全を悟ったとでもいうのか。
 くそっ、気に食わない。
 何が気に食わないかって、そのグールの態度もそうだが、それ以上に例のパイロキネシストに嘲笑われているような気がすることだ。
 もちろんそんなはずはありっこない。この場にヤツが居合わせたわけではないのだから。
 だがそんなことはこの際関係ないのである。私がそう思った以上、腹立たしいことに変わりはないのだから。
 ああ、もう、ムカつく。
 同じような能力のくせに、等しい状況下でヤツに出来て私に出来ないなんて……。
 それで私の上に立ったつもりか、アホは死ね。
 とりあえず、これでヤツをさっさと絞め上げる理由が1つ増えたのは確かだ。
 アホの分際でこの私を嘲笑うとは、そのツケが如何に高いか思い知らせてやる。

 時刻はじきに22時になろうとしていた。そろそろ暗闇から光が目覚める頃合いだろう。
 成果もなしに帰るなんて癪だし、もう少しうろつくとしよう。
 さて、次の壱夜までどうしたものか……。


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