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 “忌術師”とは当然“忌術”を扱う人のことであるが、では“忌術”とは一体何のことであろうか?
 簡単に言ってしまえば忌術とはおとぎ話に出てくる魔法のようなものだ。
 タネや仕掛けのない奇術だったり、超能力とも言えるかもしれない。
 だが忌術は魔法の一般的イメージのようになんでもできるような便利なものではない。
 むしろ逆で、大方が一芸に秀でたものだ。
 そういった意味で現象だけ観ると超能力と呼んでも全く差し支えない気がする。
 まあ忌術は超能力のように先天的に備わっているものではなく、後天的に修得できるものである。
 この国では全くのマイナーであるが、そもそも忌術とは科学と起源を同じとする立派な学問なのだ。
 多少は才能に因るところもあり、程度の差こそあるが、ちゃんと学べば誰であろうと忌術師になることができる。
 かくいう私も10歳のころから“あいつ”に育てられ、忌術を教えられた。
 しかし才能がなかったのか、それとも学び始めるのが遅かったのか、いずれにせよ私の忌術はひどく使い勝手が悪いものになってしまった。
 おかげで“あいつ”から「君の性格ほど忌術が尖ったものにならなくてよかったではないか」なんていう、とんでもなく失礼な発言を受ける羽目になった。
 ふん、不肖な弟子で悪かったわね。

 街灯の明かりを背に物静かな道を往き、足元から伸びる自分の影をひたすら追い続ける。
 こういう考え方は奇妙に思われるかもしれないが、私は自分の影にある種の親近感を覚える。
 この誰もおらず物淋しい時間において、唯一視覚的反応を返してくれるのが自分の影だ。
 聴覚ならば風音や足音が満足してくれるが、情報収集の基礎となる視覚を刺激してくれるのは影でしかない。
 それが常に自分と在るというのなら親しみの1つくらい抱いても何ら不思議ではないであろう。
 そして影が在るところに街灯が在り、街灯は夜に明かりを燈す。
 私は夜に出歩くことが好きだが、それは夜の暗闇が好きだから出歩くわけではない。
 夜の暗闇の最中、仄かに照らし出された街並みを歩き眺めることが好きだから出歩くのだ。
 ならば自分の影こそが私のパートナーとも言い得るのではないか。

 ……と、パートナーの姿がいつの間にか薄れていたことに気付く。
 ついでに少し呆けていたことにも気付いたがなんてことはない、10メートルほど先に一際強い灯を燈す街灯があっただけだ。
 だが気を取り直して行こうとした矢先、忌術師としての私が捉えてしまった……。

 ――――その街灯の下にいる異常者の存在を。

 その異常者は見た目20代後半のスーツ姿の男性である。
 ふらふらして足元が覚束ないところから酔っ払っているのかと思われるが男の顔を見ればその異常の片鱗が判るだろう。
 顔色は青白く目が虚ろであり元気がないどころか生気すら窺えない。
 そんな特徴をした異常者を私は知っている。こいつは“グール”だ。
 突如、私の存在を知ったグールが私から逃げ出した。

「ふふ、逃がすもんですか!」

 すぐさまその後を追いかける。
 グールの足取りは決して速いものではない。私ならばこの程度の距離を詰めるのに10秒と掛かるまい。
 そして思惑通り7秒程度でグールに追いついた。
 ただ予想外だったのはグールを追って、角を曲がった先に……もう2体グールがいたことだ。

「――――」
「なによ、こんなことでしてやったりのつもりかしら? ふん、アホは死ね!」

 家を出るときから左手に握っていた竹刀袋から一振りの剣を取り出し、襲い来るグールに備える。
 グールの動きは緩慢とはいえ、こいつらは本能しかないが故に力のセーブが全くない。
 つまり自分の肉体が傷付き破損しようが一向に構わず全力で襲ってくるのだ。
 いくら忌術師とはいえそんな危険なヤツら相手に丸腰で挑むなんて無茶はしない。これはその為の剣である。
 私の顔面目掛け突き出された右拳をかわし、お返しと言わんばかりに剣を振り上げその右手を切断する。
 そして一瞬も置かず振り上げた剣をそのまま振り下げグールの首と胴体を斬り分ける。

「1体目!」

 2体目のグールが1体目の肉片の陰に隠れながら突撃してくる。
 構わずその肉片ごと2体目を突き刺す。剣は心臓部を捉えたようだ。そのまま手首を返し胸部を切り裂く。
 私の剣は私が考案した特別製である。
 全長は90cmだが切っ先から刀身の3分の1が両刃で残りが片刃となっている刀剣なのだ。
 その利点を挙げるならば……刀のごとき斬れ味と槍にも負けない刺突に集約される。
 胸に大穴を開け血液を撒き散らしながらも依然として向かってくるグール。
 こいつらは胸部を大破されたくらいじゃ怯まない。
 確実に行動停止させるには首を刎ねるか頭部を潰すのが手っ取り早い。
 横一文字に切り払ったカタチになり刃が外に流れたが、肘を支点にして強引に突きへと切り替えヤツの顔面に空洞を通す。

「2体目!」

 2体のグールが瞬殺されたのを見て恐れをなしたのか残りの1体、最初に見つけたヤツが逃げ出した。

「逃がすもんですか」

 だが私は追いはしない。代わりにヤツを凝視する。
 二瞬後、ヤツの肉体の数箇所から火が燈り始め、終には全身を包む炎へと変容する。
 これこそが私の忌術“放散”である。私の得意は熱の散布による発炎。
 だが得意と言えどその使い勝手の悪さから私が自分自身で忌み嫌っているものであり、深霧神楽を変人足らしめる最大の要因でもある。
 この能力の使い難さは“放散”であって“放射”でないことだ。
 だからあの程度の対象を発炎させるのにも数瞬を要する。
 魔法使いの如く手から火球でも撃てればどんなにいいことか、と幾度となく思ったものだ。
 加えて応用の利かない私の忌術にはさらに極めつけが存在する。
 私の忌術行使は私の瞳を通したものだ。対象を凝視し焦点を合わせることから始まり、数瞬を費やして対象を火だるまへと変える。
 つまり私の“放散”には対象が近すぎても遠すぎてもダメという決定的な射程があるのだ。
 我ながらよくもまあこんな術を選んだものだ。

「ふう……」

 ヤツが黒炭(くろずみ)になったのを見届けて張り詰めた糸を緩める。
 最近はあまり見かけなかったグールだけに1日に3体も仕留めるとは思わなかった。
 “グール”とは元々人間で“サイキックバンパイア”に精神を喰われた犠牲者たちのことだ。
 “サイキックバンパイア”というのは別名“精神吸収系吸血鬼”といい、その名の如く精神を喰らう吸血鬼である。
 血は吸わないくせにどうして吸血鬼というのかは知らないが、とにかくサイキックバンパイアに咬みつかれると精神を喰われ、物言わぬグールになるのだ。
 精神を喰われるというのは抽象的な言い方でひどく曖昧だが、簡単に言ってしまえば理性を失い、咬まれた者は本能しか持ち合わせなくなってしまう。
 そんな犠牲者のグールにはさして罪はないが生かしておいても迷惑な存在なので私たちは見つけ次第始末するようにしている。
 まあグールの平均寿命は3日と長くなく、放っておいても増大することはないので積極的に狩る必要もないと考えている者もいる。
 だが私は間違ってもそんな甘い考えには賛同しない。
 こいつらは私の嫌いなアホの極み、真骨頂だ。断じて生かしてなどおくものか。

「――――」
「あら……」

 先程、顔面に大穴を開けてやったヤツが死にきれず足元で蠢いているのに気付く。

「――――」
「意地汚いわね。そんなに死にたくないのかしら? ふふ、残念ね。私はオマエを……殺したい」

 音もなくゆっくりとその首筋に刃を通す。
 それで事切れたのだろう、しばらくすると灰になって霧散してくれた。



 家に着くともう日が昇る時間、6時を過ぎていた。
 扉を開けると廊下の奥から明かりが洩れているのが見える。
 いい加減“あいつ”も帰ってきていたようだ。全く、朝帰りとは偉そうなのもいいとこである。
 明かりを目指し相変わらず暗い廊下を歩く。

「我人、入るわよ」

 部屋のドアはすでに開かれていたが一応ノックして入る。

「ん、何か用かな神楽?」

 デスクに向かっていた胡散臭そうな男がこちらに目を向ける。

「報告よ。今日も壱夜に散歩をしていたらグールに遭遇したからとりあえず3体ほど殺しておいてあげたわ」
「なるほど、今日は3体もか。いや、キミが仕事熱心で私も助かる。私はグールの相手をするほど暇ではないのでな」
「ふん、私だって散歩のついでにやっているに過ぎないわよ。感謝される謂れはないわ」
「そうか、ではキミの散歩好きに感謝しようではないか」
「それより我人、昨日は何処に行っていたのよ? アンタが外出するなんて珍しいじゃないの」
「なに、仕事で出掛けたまでだ。蒼蒔に行かせようとしたのだが昨日は捉まらなくてな」
「また厄介事でも持ち込んだんじゃないでしょうね?」
「まだ詳細を調べてる段階だから何とも言えんが、もしかしたらまたキミに面倒を頼むかもしれん。その時はよろしく頼む」
「嫌よ!」
「ふふ、そう邪険するな。どうせ暇であろう。ああそうだ、暇と言えば神楽、キミは昨日また大学をサボったな?」
「ちっ、アンタまた“視た”わね!? この変態のぞき野郎!」
「ふむ、のぞきとは心外だな。何度も言ったであろう、私の“遠視”は千里眼の一種だが視えるのは映像ではなく情報だと。例えるなら詳細な報告書を読んでいるようなものだ」
「そんなの関係あるか! 乙女のプライベートをのぞくんじゃないわよ!」
「なるほど。キミは自分が乙女だと思っているわけか……」
「なんか言ったかしら!?」
「いや、では何も言ってないことにしよう」
「ふんっ」

 この失礼極まりないヤツにして変態中年のぞき野郎の名前は柳 我人(やなぎ がひと)。
 私の忌術師としての師であり、育ての親でもある。
 180cmを超える長身と本当に30代後半かと疑わしい鍛えられた体格を擁するこの男は悔しいが私なんかより遥かに強い。
 加えて忌術師のくせに“遠視”なんていう卑怯まがいな魔眼まで持っているというから世の中平等ではない。
 そのくせ面倒事は私に押し付けて自分は事務処理しかしないというのは明らかに配置を間違っている。

「それじゃ私は休ませてもらうわよ」
「ああ、今のところキミにやってもらうこともないし充分に休むがいい」
「ふん、偉そうに……」
「そうだ、忘れていたが一昨日蒼蒔がキミに……」

 最後に我人がなにか言っているのが聞こえたが私は気にせずその場を後にした。



 シャワーを浴びて私室に戻ると時計の短針はちょうど7を指していた。
 多くの人が食事を摂る時間だが、生憎と私は見えない敵のため朝食は摂らない主義なのだ。
 よく朝食を抜いて弐夜食と参夜食を食べるのは逆効果だ、と聞くが私は元々小食なのでさして関係ないだろう。
 さてこれからどうしたものか……。
 この時間、普段なら講義までの数時間を睡眠に費やすのだが、今日はすでに惰眠を貪ってしまったので眠気は全くない。
 ああ…………ヒマだ。
 こういう時ほど私は自分の無趣味を憎らしく思うことはない。
 思えば私の趣味とはなんであろうか?
 夜に散歩すること。
 ああ、これは確かだろう。私の一番の楽しみなのだから。
 では他にはどうだ? なにかあるだろうか?
 ショッピングというのも行動回数からすれば多いほうなので趣味といえるかもしれない。
 だがどうにもそれはヒマ潰しのために仕方がなくやっている感がある。
 いや、事実そうであろう。ショッピングのためにわざわざ時間を作ろうなんて私は絶対に思わない。
 そう言えば昨日、伽耶に「神楽は身嗜みを整えることぐらいしか趣味がない」と言われたが私にとってそれは本当に趣味なのだろうか?
 確かに身嗜みは毎日出掛ける前に欠かさず整えているし、私はそれを楽しんでいる気もする。
 しかしでは何故そうする? ただ楽しいからということだけでするのか? そこには他人に自分を良いように見せたいからという理由もあるんじゃないのか?

「ふふふ……」

 笑える。これはひどく笑えるではないか。
 私は他人になんと思われようが構わなかったはずだ。別に良いように見せる必要なんてどこにもないじゃないか。
 加えて私は本来孤独と静寂の夜の中を生きる忌術師。
 無人の夜に誰に逢うというのだ。誰に自分を良いように見せるというのだ。
 グールにか? バカらしくて笑えてくる。
 ああ、これは本当に滑稽だ。そんな行為、お飯事でしかない。
 そんな行為を楽しんでいた私もただのガキに過ぎないということになる。

 時計に目をやると私室に戻ってきてからまだたったの10分しか経っていなかった。
 ああ…………ヒマだ。



 茜色に染まる空の下、キャンパス内を1人歩く。
 時刻は9時50分、もうすぐ傾いた陽が完全に沈み弐夜が訪れる。
 余りにもヒマなため早めに家を出たが2限の講義開始が10時15分からなので結局ヒマを潰さなければならない。
 だがヒマを潰し、待ちに待ったものが大学の講義だなんて不毛極まりない。どうせなら目の前まで迫っている弐夜を楽しみたいものだ。
 我人に釘刺された手前、今日くらいは真面目に講義に出ようと心掛けたがやはり誘惑に考えがぐらつく。
 まあ急に考えを変えるのも癪だし我慢するとしよう。それくらいは我慢できる。
 しかしどうにも我慢ならないことが1つある。
 さっきから道往くヤツらが私を見ては驚いた様子を示していきやがるのだ。
 なにを驚いているというのだ? 今の私の姿にか?
 ふん、どうとでも好きに思うがいいさ。私は如何様に思われようと一向に構わない。
 面倒なお飯事には飽きたのだ。この姿はその結果に過ぎない。
 でもだからといって人の姿を見て驚くのは失礼というものである。私のことをなんと思おうが勝手だがそれを態度に現すのは喧嘩を売っているようなものだ。
 卑下するならば自由にしろ。裏で言い合うのもいいだろう。ただしそれを私に対しあからさまにするんじゃない。
 各自の意見に口出しするほど私は無粋ではないが、それを投げ掛けてくる以上は私もそれ相応の行動を取らせて貰おう。
 何事も代価を支払わねばならないことを知らしめてやる。

「神楽ぁ!」

 突然私の名を呼ぶ声が後ろから聞こえてくる。
 振り返るまでもない。この最中、人の名前を大声で呼ぶようなヤツは伽耶しかいない。

「やっぱり神楽だ。ねぇ今日はどうしちゃったの!? 髪もボサボサだし下ろしてるから最初神楽だってわかんなかったよ」

 『やっぱり』ってこいつは私だっていう確証なく呼び付けたのか……。
 もし違ったらどうするつもりだったのだろうか? 間違ったのが私だけに間違えられたヤツと一波乱あったかもしれないというのに……。

「別に……。ただお飯事に飽きただけよ」
「はぁ、またわけわかんないこと言ってぇ……。ほら、いいからこっち来なさい」
「えっ? ちょ、ちょっと離しなさいよ」

 伽耶は私の手を強引に引っ張り、有無も言わせずに近くにあったトイレへと連れ込んだ。

「ほら、そこの鏡の前に立つ! いい!? ちゃんと立ってるのよ!?」
「…………」

 伽耶はそう言ってリュックの中からなにやらごそごそと取り出す。
 取り出されたものは、櫛にヘアピンに髪留め、化粧品……果てはアイロンまである。
 やりたいことは判ったが、どうして伽耶はこんなものを携帯しているのだろうか?

「私がセットしてあげるから。じっとしてるのよ神楽」
「いいわよ、そんな無駄なことしなくても」
「よくない! いい神楽、女の子には自分を綺麗に見せる義務と責任があるの! 手抜きなんて許されないんだから」

 よく判らないことを言いながら私の髪を櫛で梳かし始める伽耶。
 私も逆らうのは容易いはずだが何故か伽耶には逆らえないでいる。いつもいつも何故伽耶には逆らえないのだろうか……。
 髪を梳かし終えると伽耶は続いてヘアピンやら髪留めを用いて私のいつもの髪型に整え始めた。
 髪を首の後ろあたりで一括りにして前髪や横髪の細かなところをヘアピンで留めてくれる。

「うん、出来上がり! 神楽はすんごい綺麗なんだからきちんとしてよね? 綺麗な神楽を見るのが私の楽しみなんだから」
「そんなこと言われたって知らないわよ……」
「そうだ! 神楽、化粧してみない!?」
「ちょ、待ちなさいよ。私が化粧はしない主義だって知ってるでしょ?」
「いいじゃんいいじゃん。一回やってみれば考えも変わるかもしれないしやってみようよ?」
「はぁ……」

 伽耶の強引さが恨めしい。
 悪い気はしないがいいように弄ばれてる感じだ。

「ちょっとだけだからさ。ほら、こっち向いて」
「…………」

 言われるままに伽耶の方を向く。伽耶は鼻歌まじりで随分楽しそうである。
 だが化粧をするといっても大したことではなかった。
 かすかにアイラインをのせ、うすいピンクのリップをしただけ。
 伽耶もちゃんと私のことを考慮して派手なのを避けてくれたようだ。

「どう神楽? 化粧も悪いもんじゃないでしょ?」

 鏡を見る私に横から伽耶がニヤニヤしながらそんなことを言ってくる。
 非常に悔しいが……確かに悪くない。
 そう思えるのはなんだかんだ言っといて結局私が女だからなのだろうか。
 着飾らないと決めたそばから余計着飾っているこの状況にも別段不満は生じない。
 それどころか「何故あんなつまらないことに拘っていたのか?」なんていう疑問が生じてくる。
 そう思えるのもやはり私が結局は女だからなのだろう。
 それになんの問題があるというのだ? ああ、全くないだろう。
 なにせ私は正真正銘の女なのだから。
 疑問を抱く方がおかしい。そんな余地は欠片もないはずだ。
 なにせ私は――――正真正銘の乙女なのだから。

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