【Moonless Night】作:楓夜 宵


 闇の中、静寂を破るように私の足音だけが夜の街に木霊する。
 街灯に照らされてできた私の影が強く自己主張し、今この場に存在するのは私だけなのだと実感させる。
 私はこうして夜、特に“壱夜”になんとはなしに出歩くことが好きだ。
 眠りについた世界の中、自分以外に音を立てるものは何も存在せず、この時間、この世界を支配している気さえする。
 今日もこうして半日課と化した夜の散歩を楽しんでいるわけである。
 夜には楽しめることが多々ある。
 太陽の灯から逃れて冷え切った空気、そして暗雲の切れ端からのぞき見ることができる星空はなんとも言えない高揚感を与えてくれる。
 他にもだ、たとえ同じ空間であろうと昼には感じることができない何かが夜には在る。

「……ふふっ」

 自分の考え方に思わず苦笑が漏れる。これでは私はロマンティストか何かではないか、と。
 私はそんな感情家ではない。むしろ全く逆……一般的に言うなら理論的・体系的な世界の住人である。
 バカな思いが頭を過ぎり、ふと夜空を仰ぎ見た。
 ……今日は珍しく満天の星空であるようだ。
 そう言えば本で読んだことがある。この夜空には昔、黄金色に輝くもの、“月”というこの地球の衛星があったらしい。
 月は満ち欠けし、星などとは比べ物にならないくらい大きく見えたという。
 そんなものが今もあったならば、この散歩もより楽しみになるものを、などと思ったこともあった気がする。
 まあ今更無い物ねだりしても詮無きことだ。
 私は今のままで充分満足して楽しんでいる。だからこそ半日課とも化すわけだ。
 これ以上望むことは単なる贅沢と言えるだろう。

 ――さて、じきに壱夜が明ける。
 今日も無駄な講義があるわけだし、そろそろ帰って寝るとしましょうか。



「……え〜、であるからして月が消失して以来、地球の自転速度は3倍、つまり8時間周期になったわけですね。
 今の時刻は10時半で夜ですけど、昔は今の時間帯は灯が昇っている朝になっていたことになります。
 この点は慣れないと混乱しやすいので各自ちゃんと理解しておくように」

 教授がありがたい蘊蓄を述べているが全く以って退屈だ……。
 この分野は常識の範囲で理解できることが多いので聴くだけ無駄である。
 失敗した、とひどく後悔する。出席だけ済まして講義などサボってしまえばよかったんだ。

「え〜、でだ、自転速度が上がると普通なら当然重力は小さくなります。しかし地球の重力は昔からずっと変わっていません。
 この不可思議な現象は未だに謎のままなので割愛させてもらうことにしましょう。
 ですがもしも重力が小さくなっていたら大変なことになるのがわかるでしょうか、みなさん?
 現在、地球の自転速度は赤道付近で時速4022km、公転速度に至っては平均時速30万kmです。
 新幹線の速度が約時速200km、飛行機の速度が約時速1000kmですから、地球のその猛スピードがよく判るでしょう。
 にもかかわらず私たちが振り落とされずに済むのはひとえに重力があるからなのです。
 地球が私たちを振り落とそうとする力、遠心力は地球の重力に比べるとたった2.7%に過ぎません。それくらい地球の重力は大きいのです」

 退屈な話を窓の外を眺めながら耳の右から左に聞き流す。
 外は仄かに暗い。まあ夜なのだから当たり前なことである。
 私は夜は好きだが“弐夜”はあまり好きにはなれない。
 まだ眠気が残るから、というのが主な理由だと思うが自分でもよくわからない。

「……さらに月の消失によって地球にはもう1つ大きな変化が起こりました。
 みなさん、少し外を見てみてください。
 見慣れている光景だと思いますが、風が吹いてゴミなどが舞い上がったり木の枝が揺れ動いていますね?
 このように月が消えてしまったことによって地球には常時5.5〜8.0メートル/秒の風が吹くようになりました。
 昔はほぼ無風な時もあったといいますが、今では考えられないことですね」

 現在、地球の自転は8時間周期だが、昔からの慣習で1日は24時間としている。
 人間の体内時計は24時間なのだから1日24時間は当然といえば当然。
 まあそんなわけで1日に3回ずつ朝、夜が存在する。
 昔は“昼”という時間も在ったらしいが、私としてはなんでそんな半端なものが在ったのか不思議でしょうがない。
 夜には1日の始めから“壱夜(ひとや)”、“弐夜(ふたや)”、“参夜(みや)”と名前が付いている。
 無論、正式な言葉ではなくスラングだが、この国では万民に通じる単語だ。
 だが一方、朝にはそんな名称はない。
 つまりこの国の人間は朝より夜の方が身近に、そして親しみを感じていた、ということになる。
 私の夜好きもそんな国民性故のものなのだろうか……。

「……と、今日の内容を要約すると、昔は1日24時間で無風という人間にとってとても住み易い環境だった、ということである。
 さてと、時間も頃合いなことだし、ここまでとしましょうか。では解散」



 教授の解散の合図で学生が一斉に席を立ち、騒がしく出入り口に殺到する。
 弐夜食の時間帯なだけに食堂に一刻も早く行き、席を確保しようと躍起になっているのだろう。
 私はそんな人込みに紛れるのは御免であるので未だに席で燻っている。

「ねぇねぇ神楽ぁ、一緒にご飯食べようよ〜」

 そんな私に1人の女の子が話しかけてきた。
 背は低めだが腰まで伸びた見事な黒髪と琥珀色の瞳が印象的なかわいい感じの女の子である。
 しかしなによりも目を引くのはその左手に携えられた、この女の子にある種お似合いなぬいぐるみであろう。
 私の知る限り、この子がそのぬいぐるみを手放しているのを見たことがない。
 この女の子も、変人で通っている私に負けず劣らずの変人に違いない。
 類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。

「私には構わないでって言ってるでしょ、伽耶」

 女の子の名は原越 伽耶(はらこし かや)。
 いつも私は出会い頭に突っぱねるようなことを言うが、私こと深霧 神楽(ふかぎり かぐら)が心を許す数少ない友人の一人である。
 無類のぬいぐるみ好きであることを除けば、まあ割と普通な女の子やっている。

「う〜、いいじゃんか。私、一緒にご飯食べる人いないんだもん」
「…………」

 伽耶の言うことは間違いなくウソだ。
 伽耶は変人には違いないが、その変人さと容貌から学内でマスコット的存在で通っていて、多くの人から親しまれている。
 そんな伽耶が声を掛ければ4、5人くらいすぐに集まるはずだ。
 だというのに声を掛けるのが学内一他人嫌いで有名な私だってきたもんだから、やはり伽耶は変人である。
 別に私は特別他人嫌いなわけではない。アホなヤツが嫌いなだけだ。
 この場合のアホというのは単に知識が乏しいとかそんなのじゃない。
 常識や礼節を省みないような見るに耐えないヤツのことだ。

「ほら神楽ぁ、早く行こうよ。って言ってももう食堂は無理だからお外だけどね」
「はいはい、判ったわよ」

 こうしていつも伽耶のペースに乗せられてしまう。
 常に自分のスタイルを通す私もどうしてか伽耶には逆らえないでいる。
 いや、まあ逆らおうとは思ってないけどさ……。

 未だ空ききっていない出入り口を通り、廊下に出る。
 そしてエレベーターの前で来るのを待っている3、4人を視界の端に捉えながらも階段を下る。
 私はエレベーターというものが大嫌いである。
 あの狭い空間で他人と時間を共有しなければならないなんて考えるだけで虫唾が走る。
 伽耶もそのことは判ってくれているので、さも当然のように階段に向かってくれる。
 その辺の気配りの良さが私と同じ変人であっても、皆に受け入れられる理由だろう。
 ふん、全くいいヤツである。



 時刻は12時過ぎ、弐夜の闇が最も濃い時間帯である。
 私にとって散歩するのにもってこいの時間なのだが伽耶がそれを許してくれないだろう。
 まあこの暗闇もあと2時間足らずと楽しむには微妙に時間足らずなのでそれほど悔やむことでもない。
 今は伽耶と弐食を楽しむとしよう。

「今日はどうしよっか? 大学周辺の飲食店はこの1年でもう大体制覇しちゃったからね〜」
「スプランドゥールでいいわよ。遠くまで行くのも面倒だし」
「あはは、神楽はスプランドゥールがいいんでしょ? 知ってるよ、実は神楽だって甘いものが好きだってこと」
「な、なに言ってるのよ貴女」
「隠さない隠さない。自分の身嗜みを整えるくらいしか女の子らしいところがない神楽もちゃんと女の子の嗜好してんだから」
「むっ、失礼な。私だってちゃんと女の子やってるわよ」
「ふ〜ん、じゃあ偶には男の子に向かって悪態じゃなくて愛の言葉くらい言ってみてよ」
「な……な……」
「ほらできない。恋もしないようじゃ女の子やってるなんて言えないよ」
「じゃあ伽耶はどうなのよ!? 恋してるって言うの!?」

 もし伽耶に意中の男がいるなんて言い出したらちょっと……いや、かなりショックだ。
 なんて言うか……なんとなく裏切られた気分になる。

「私は……あはは、ほら、これさえあればいいかな……なんて」

 伽耶はそう言って左手に携えていたぬいぐるみで顔を隠す。
 つまり……伽耶にも浮いた話はないってことだ。

「ふん、伽耶も人のこと言えないじゃないの」
「え〜、でも神楽よりかはずっとマシだよ」
「失礼ね。マシとか言うんじゃないわよ」

 伽耶と他愛もない話をしながら大学のキャンパスを出て、歩いて5分くらい場所にある甘味処“スプランドゥール”に着いた。
 ここのケーキは少し値段が張るが、その値段に見合った上品な甘さと下品な大きさが女の子の間でかなり人気だ。
 店内はアンティーク調で落ち着いた感が滲み出ているのも人気に拍車を掛けているのだろう。
 店員の勧めるままにテーブルに着く。
 私が席に着き、メニューに目を通していると後ろの席から呟きが聞こえてきた。

(ねえ、あれ深霧さんじゃない?)
(えっ……やばっ、ホントだ。……で、出よっか?)
(う、うん……)

 そそくさと2人組の女の子が席を立ち出て行った。
 他にもさっきのような囁きがあちらこちらから聞こえてくる。

「…………」
「か、神楽ぁ、注文何にしようか?」
「別に気にしなくていいわよ伽耶。もう慣れたしね」
「あう……」

 この1年、私はことある毎に気に食わないヤツに対して『アホは死ね』と蹴散らしてきた。
 そのせいか、今では見知らぬヤツからも恐れられ、嫌われているようだ。
 別にそんなことは全く気にもならないが、だからといってそそくさと立ち退かれるのは気に入らない。
 しかしまあそれもしょうがないのかもしれない。
 “あいつ”に言わせれば私からは負の波長が放出されているらしい。
 よく意味が判らないが、耐性の弱い人が私の近くに居ると気分が悪くなるとかなんとか……。
 それは感覚では感知できないものだが本能で感知し、結果、多くの人が自然と私から逃げていくようだ。
 だが元々性格上、他人を突っぱねる私にはこの体質はひどく合っている。
 私は不特定多数に好かれようなんてこれっぽっちも思わない。
 逆にそんなの面倒なだけだ、なんて考えさえ私は抱いている。
 中には伽耶のような奇特なヤツもいることだし、私にはそんなヤツが1、2人いれば充分である。
 ……いや、伽耶には悪いが、最悪1人もいなくていいかもしれない。
 私は静寂と孤独を愛する夜の住人。朝に活動するのは性分じゃないのだ。



 スプランドゥールで伽耶と食事を済ませるとキャンパスに戻り、午後からも講義がある伽耶と別れた。
 私も実際は講義を取っていたのだがどうにも億劫でサボることにした。
 しかしサボるにしても何かやりたいことがあるわけではない。
 時刻はまだ13時過ぎ。弐夜はあと数十分で終わってしまう。
 基本的に講義に出なければ私が朝の時間帯にすることなど皆無だ。
 私の数少ない趣味の1つにして、唯一女の子らしいと思える趣味である衣類やアクセ買いをする気にも今はならない。
 さて、どうしたものかと途方に暮れてしまう。
 これは私の悪い癖だな、と小反省する。
 普段、何事も計算高い私であるが、時折こうして何も考えず目の前の欲求を優先してしまうことがあるのだ。

「……帰るか」

 退屈さから一番安直な案が浮かぶ。
 よし、そうしよう。
 今から家に帰って寝れば今日も壱夜に散歩することができる。
 そうと決まれば早く帰るとしよう。
 家はここから歩いて15分くらいだ。どうせ歩くなら弐夜の闇を楽しみたい。

「ふふふ、つくづく私は夜が好きのようだな……」

 自然と零れる笑みを隠すように薄暗闇の中に歩を進めることにした。



 玄関の扉を開けようとして鍵が掛かっていることに気付く。
 珍しく“あいつ”は出かけているようだ。
 居ないなら居ないで好都合だ。いちいち講義をサボったことを言うのも省ける。
 バッグから鍵を取り出し扉を開けた。
 家の中は、明け方の空よりもずっと暗い。
 もう慣れたことだが、この暗さは電灯が点いていないからとかそんなレベルではない。
 煉瓦細工のこの家には小さな格子のような窓が幾つかあるだけだ。
 ほとんど採光ができないというこの家の造りは別に私の趣味に因るわけではない。
 むしろ逆、こんな家で育ったからこそ私は夜を好きになり、暗闇を愛するようになったのだと思う。

 電灯を点けることなく暗い廊下を通って私室を目指す。
 常人なら何も見えないような闇であろうがこの程度私には全く苦にならない。
 私は夜目が抜群に利くのである。
 私室に着くとバッグを放り投げ、髪留めをはずし、ベッドに倒れこむ。
 そして暗室の中、意識をさらに深い闇へと誘った。



「…………ん」

 目が覚めると体が少々の気だるさを訴える。
 とりあえずそれを無視して体を起こすと両目が視界に過ぎった時計を捉えた。
 寝起きでボケた焦点を合わせるのに1秒ほど費やす。
 時刻はもう次の日の3時、すでに壱夜の真っ只中だ。
 寝過ごした……いや、それ以前に寝過ぎである。
 ……まあ1時間くらいいいか、なんて寝起き時特有の呑気さが現れる。
 のろのろとベッドから立ち上がり、電灯を点け、立ち鏡の前に向かう。
 流石に私も夜目が利くからといって全く明かりを必要としないなんてバカげたことはない。
 特にこの時、身嗜みを整える瞬間においては大いに必要とする。
 乱れた髪を梳かし、髪留めを用いて髪を結う。
 私は化粧はしない主義なので髪を整えるとアクセを身に着けて完了である。
 準備を終わらせ私室を出るが、未だに“あいつ”は帰ってきていないようだ。
 居ないのなら私の好き勝手にやらせてもらおう。

 家を出て夜空を見上げる。
 雲の動きがやたらと速い。地上は珍しく微風だが上空は風が強いようだ。

「ふふ、なんともいい夜じゃない」

 鼓動が高鳴り、気分が高揚感を覚える。
 やはり夜の中でも壱夜こそ私、深霧 神楽の本領だ。
 ――――さあ、“忌術師”の時間を楽しもうじゃないか。

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